最近では、駅や街角で簡単に撮影できるようになった証明写真。
就職活動にも欠かせない要素です。
でも、ちょっと待って。
就職で人生が決まってしまう、なんてことはないけれど、
これから長く付き合っていくその仕事のための写真、そんなに簡単に作ってしまっていいんでしょうか。
考えてみても、分かりません。
聞いてみましょう、創業1897年という、長い歴史を持つ写真館、五十嵐写真館さんに。
こちらが五十嵐写真館のご主人の五十嵐さん
━━証明写真を多く手がけてきた五十嵐さんにお聞きしたいんですが、そもそも証明写真とは、どのようなものなんでしょうか。
五十嵐さん そうですね、証明写真、と一口に言ってもさまざまな種類があります。たとえば、免許証やパスポートの写真ですね。いずれも、目の前にいる人物が本人であるかどうかを判断するために使用する、というのが一般的な目的でしょう。
これは、いわば証明写真を提出される側と、証明写真を提出する側双方の目的が合致している状態と言えます。
パスポートであれば、提出する側は自分自身かどうかを確認してもらいたい、提出される側は、本人なのか確認したい。という目的のおかげで、双方の要望が合致しているわけです。
ただ、証明写真を使用する状況には、上記のように合致しない場合があります。それが、今回の主題である就職活動で使用する証明写真の場合です。
五十嵐写真館さんの受付。たくさんの笑顔の写真があって、ちょっと落ち着く空間です
五十嵐さん どういうことかというと、証明写真を(もちろん履歴書や最近ではデータで送るところもあると思いますが)受け取る側は、本人確認という目的に変わりはありませんが、証明写真を提出する側は、本人を確認してほしいという目的以外に、自分のことを「よく見せたい」という思いを持っています。
ここに、齟齬(そご)、というほどでもありませんが、違いが生まれるわけです。
━━なるほど、たしかに自分も就職活動の際に撮った証明写真は、普段の仏頂面ではなく、微笑をたずさえていました…。
五十嵐さん うん(笑)そういう人が多いでしょう。では、今度は作り手側、今回で言えば僕の話をすると、この業界では、証明写真の撮影は非常に難しいと言われる撮影の1つなんです。
実をいえば、ようやく最近、証明写真というものの真髄、というとおおげさだけど、どのように撮影すればいいのかが固まってきたんだよね。
━━五十嵐さんは確かキャリア30年を越えていたはず! ウナギの調理よりも時間のかかる職人技ですね…。
五十嵐さん 写真てね、本物ではないんです。そもそも、立体を平面に表現するというところからニセモノです。それに、撮影時にはカメラマンの指示で姿勢を正したり、ちょっと首が曲がっていればそれも直す。
服装なんて、普段しない格好をしたりもする。
そうすると、本来のその人ではなく、いいところだけを切り取っている、と言えるわけです。
━━たしかに、その人のいいところを引き出すというか、カメラマンの方に撮影していただくとぴしっとして写ります。
五十嵐さん で、これはボックスの写真機だと難しいんですが、写真館であればどこまででもできてしまうんです。
それを、本人のいいところを引き出しながら、実像とどこまで乖離させないか、そこが腕の見せ所となります。
なぜかと言うと、冒頭のお話のように、履歴書で証明写真を確認する側は、本人確認のために証明写真を見ているからです。
修正してバッチリ決めて、いざ面接、となったときに、あまりに本人とかけ離れていれば、なんだ、全然違うじゃん、という落差が生まれてしまう。
こうなると、証明写真の意味をなさなくなってしまう。さきほどお話しした齟齬、というのがここで悪い結果に向いてしまうことがあるんです。
━━婚活サービスに似ていますね。自分は利用したことはないんですが、会員限定で相手の画像を閲覧できるサービスで、実際お会いしたら別人かと思ってがっかりした、という友人がいます。
五十嵐さん そう、それは無駄になるだけではなくマイナスになってしまうこともある。だから、本人からかけ離れていないけれど、いいところをギリギリまで表現する。これが証明写真に必要なことです。
本人確認をしたい面接官と、自分をよく見せたい就活生、そして難しい撮影に臨むカメラマン、この3者のうち、特にカメラマンの方でクオリティをコントロールする、と言うとおこがましいけれど、ある程度現実と乖離しすぎない範囲で、就活生が満足する仕上がりにする。ここが難しいところだね。
━━そう考えると、ボックスの写真機にはそこまではできませんね。
五十嵐さん そのうちAIなんかで可能になるかもしれないけれど、現状は不可能だね。
ボックスの写真機とはここが違う
━━一概に、安いからボックスで撮影する、というのがよくないような気がしてきました。
五十嵐さん いや、そんなことはないよ。やっぱり私たちから見ても、安くて早くて、便利だなー。と思う。
写真館であればお店によって違うけど、ボックスの写真機と比べて料金は3倍くらい違うし、実際に写真が上がるのにも時間がかかる。
「すぐに」「安く」なんて需要がある限り、ボックスを使用してもらうしかないからねえ。
━━ぶしつけな質問で申し訳ないんですが、料金の違いは埋まることはないですよね。
五十嵐さん これは難しいね。なぜかというと、かかる手間が違うんだ。ボックスの写真機との違いというと、まず照明の数が違う。ウチであれば証明写真には6灯使用する、ボックスは1灯であることがほとんどです。
そして2つめの違いは、カメラと被写体の位置が全然違うということです。
実際の撮影時の被写体の視線からの五十嵐さん。3mは離れています
レンズ光学上、被写体から遠いほうが歪みがなく、違和感がなくなっていきます。そのため写真館では被写体と距離をとって撮影する。ただ、ボックスの写真機であれば、その名の通り、小さくてスペースをとらないという特徴があるから、そこは大きな違いになります。
3つめは、肌の色合いです。同じアジア人でも、人によって色合いが違います。そこを色補正するかどうか、というのも大切です。
最期は、修正をするかどうか。もはやアプリでも簡単にできるようになってきているけれど、ほくろの1つくらいならワンタッチで消してしまえる。もっと手をかければ少しほっそりさせたり、目をぱっちりさせたりと、いろいろな加工ができます。
ザッとテクニカルな面だけ考えても、このくらいの違いがあり、これを料金に反映させるとどうしても…。
━━あまりに違いすぎて、写真館で撮影するものとボックスの写真機で撮影するものが、同じ証明写真なのか分からなくなってきました。
証明写真をカメラマンよりもたくさん見る面接官
━━証明写真と一口に言っても、いろいろな要素が詰め込まれているんですね。
五十嵐さん まあ、僕は面接をすることはほぼないので、人から聞いたり制作をしているときの知識だから。これが100%正しいですよ、とは言えません。
しかし、知り合いに人事の役職員を務めている方がいるんですが、彼が言うには、証明写真を一目見れば、どれだけ力を入れているか分かる、と言うんです。
━━長年の経験で、目つきが違う、とかですか?
五十嵐さん いえ、それが写真の仕上がりで分かるそうなんだよね。
よく考えてみれば分かることなんですが、大企業であれば、何百、何千と履歴書など送られてきますよね。それも新卒採用だけではなく、中途採用などを含めれば年に何度も。
そうすると、証明写真を見る枚数は、僕たちカメラマンを優に超えてしまいます。
━━言われてみればそうですね。人によっては何万枚にもなります。それも毎年のことなので、相当目は肥えてくる訳ですね。
五十嵐さん その通りです。まあ、証明写真の良し悪しだけで採用が左右されることはないと思いますが。
そもそもの話をするならば、証明写真を採用の可否を判断する要素に加えているかも分かりません。
ただし、熟練のカメラマンよりも枚数を見ているので、もしも証明写真で力の入れようを見られているとすると、ある程度がんばったほうがいいかもしれませんね。
次回、実際に五十嵐さんに証明写真を撮影していただきます!