三の丸小学校 マラソンの像

昨日、参議院選挙の投票に三の丸小学校に行きました。
前から気になっていた、マラソンの像がどこにあるか見てきました。

校庭の体育館に近い、土手のさかいにありました。

「継続は力なり」とプレートが半分埋まっていました。

この像にはエピソードがあります。

渡辺喜充先生より、投稿を頂きました。
三の丸の校庭の片隅に立つ「マラソンの像」の由来

今から50年ほど前の頃です。
日本では札幌オリンピックが開かれていました。
毎日テレビ放映されることにみんな気持ちがわき上がっていました。
ある日、校庭のすべり台の上で話し合っている少年ふたりがいました。
三年生になるまさお君とのりお君です。まさお君がぽつんとつぶやきました。
「さっぽろまで走って行かないか。」
「そんなこと出来ないよ。とちゅうでつかれてたおれてしまうよ。」
「だいじょうぶ。ぼくの考えは運動場を走ってその長さを足していくんだ。
そうすればきっとサッポロにたどり着くと思うんだ。」
つぎの日、まさお君は先生に相談してみました。
すると先生はアイデアを出してくれました。毎日、走った距離を記録するカードを
作るから、それを小田原から札幌までの地図に目印良いのでは無いか。
ということでした。

運動場は一周150m四周走れば600m,1000mで1km、小田原から
札幌まで1260km、割り算すれば八四〇〇周すればたどりつくと言うことを
教えてくれました。
喜んだまさお君は二人で毎朝走ることをちかい合いました。
登校すると授業が始まる前に運動場を元気に走る二人の姿がありました。

それを見ていたほかのクラスの子ども達も一になって走るのでした。
「きょうは国府津までいったぞ。」
「まだまだ遠いあ。東京にも行けない。」
その時、初めて東京まで80kmあることを知りました。
来る日も来る日も走り続けて記録しました。
四年生になっても五年生になっても続けました。
そうしてとうとう六年生なったある日、札幌に到着したのです。
まさお君のほかに二十名の六年生が札幌にたどりついたのです。

この行いに校長先生は感激して賞状を出してほめたたえました。
そして、子ども達の姿を永遠に残そうとマラソンの像を作ることを
決意しました。
作ってもらう人は玉川大学で教えている美術の松田芳雄先生にしました。
像が出来上がったときは学校がスタートして八十年がたった年に当たりました。
全校児童全員で喜びの歌をうたい、マラソンの像が立ったことを祝いました。
校庭に立つあのマラソンの像は、ずっと遠く札幌の空にむかってかけぬける姿を
残しているのです。

【追記】
松田芳雄先生は日展に連続して入選している日本の彫刻家で今でも秋田県大館市
で活躍されています。
渋谷駅前の忠犬ハチ公の話は余りにも有名ですが、ハチ公大館市では大館市では
「望郷忠犬ハチ公の像」を松田先生に制作依頼されました。
秋田犬設置され、設置され、訪れる観光客の中には、涙ぐみ人も涙ぐみ人も
いるくらいです。
おおだてしには、先生の制作された作品群が点在し、偉容を放っています。
そのほか玉川大学のキャンパスの中にも先生のブロンズ彫刻があり、訪れる人に
感慨を与えています。
渡辺 喜充氏記す

 

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

十字町ヒストリア責任者、有限会社ユニオン商会代表 十字町ヒストリアはここ十字町の近現代の歴史を中心に展示しています。 十字町地区に居住した著名人、ここ小田原が受けた災害被害、豆相人車鉄道、軽便鉄道、国府津湯本馬車鉄道、電気鉄道、市内電車などの記録、小田原の神社仏閣、小田原用水(早川上水)山縣水道、益田孝(鈍翁)の小田原での業績、などを保管していますので、気軽にお申し付けください。