最初は呉服という言葉の語源と着物との違いについて連載するために始めた今回の取材。
お話をお聞きした片野屋呉服店さんから、こんな一言が。
「今の人は、着物を着た人とすれちがうと、お茶を習っている方かな、とか、富裕層の方かな、なんて、そんな風に思う。でも、わずか100年少し前の人たちは、そんなことは感じないんですよ。現代人だけの感覚です。」
ドキリ、としました。その通りだったからです。
その昔、日本人は毎日のように着物を着ていました。
そんな日本人の伝統的衣服である“呉服” “着物”は、いつから僕たちの手を離れて、特別なものになってしまったのか。
当初考えていたテーマから少し離れてしまいますが、
「着物とは」「呉服とは」についてうかがいながら、なくしてしまった日本人のルーツを、
もう一度、見つめ直していきます。
連載第1回
続き第3回【最終回】
文様の話
━━遣唐使廃止以降、独自の文化として発展していく着物ですが、吉祥文様に代表されるような特徴的な文様が入っていると思います。あれらは、呉服からの流用や中国から影響を受けたものなんでしょうか。
片野さん そういうものもある。日本オリジナルのものと混在しているかな。
着物の帯などにも使われる、鴛鴦文様(おしどりもんよう)。
━━たとえば、蛇の文様、三角形の文様をいくつも組み合わせたものがあると思うんですが、あれは日本オリジナルですか。
片野さん 蛇は昔から神様の使いとして扱われていて、古事記などにも登場するんだけど。日本独自の発展をする段階で文様も新たになっていく。
たとえば縁起のいい文様といっても、現在のようにふんだんに過去の参考がある訳ではない。
中国で使用されていた文様の1つ、狩猟文(しゅりょうもん)。
片野さん そのため、神話などから発想を得ることが多かったようですね。
特に発想の一端として使われていると考えられるのが、日本最古の歴史書といわれる古事記です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)やスサノオなど、神話上の人物が登場し、その逸話や登場人物になぞらえたものが使われていることも多々あるよ。
桐花文様
例えば天皇家の紋の1つである桐の花の紋。あれは中国でいうところの、イエス・キリストが生まれたときに輝いていたとされる星のようなもので、偉人の生まれる前兆とされている。そこから、文様に使われるようになる。
蛇のことを考えると、世界各国の神話に登場するので、一概に日本発祥、とするのは危ういかもしれないけれど、日本文化のなかでは随所に見られるので、もしかしたらそうかもしれない。
小田原でいえば、北条家の文様も北条鱗(ほうじょううろこ)という文で、3つの三角形を組み合わせたものだ。縁起もいいとされていたね。
日本独自の文様はまったくの新作から、中国からきたものを混ぜ合わせたものと、大きく進化していくことになる。
これを衣服に使用していくことになり、人気の新しい文様なども出てきて、現在まで使用されるものが多々あります。
ただし、これはいわば衣服の話。能衣装に関してだけは別物とされてきました。
━━能、ですか。
片野さん 観阿弥、世阿弥が流行させた能は、室町時代から現代までを代表する日本の芸能だけど、能に使用される衣装は呉服、といっても文様は昔ながらの中国の流れを汲んでいる。
少し前に歌舞伎の衣装を管理されている方にお会いしたんですが、同じように伝統芸能とされている歌舞伎と、能では衣装のレベルが大きく異なる、と話されていたよ。
波間にちりばめられた源氏車(げんじぐるま)文様。波も、青海波(せいがいは)と呼ばれ、永遠に続くものから縁起のいいものとされた。
片野さん 歌舞伎は、やはり大衆演芸から始まっているので、お客さんから見て派手であればいいという考えも1つあると思う。一方、能は貴族や武家を対象に演じられていたので、伝統の重んじ方と、お金のかかり方が全然違うんですね。
文様に関してはこうなんですが、衣装の形自体は、唐織り(からおり)と呼ばれる中国から渡ってきたものを日本アレンジしたものです。どちらにしろ、制作だけではなく、維持にも非常にお金のかかるものなんです。
━━そう考えると、能は当時最先端だった中国の文化と、日本独自の発想を織り交ぜた、豪華で、新しい芸術だったんですね。
片野さん そう言えるかもね。この能衣装は、昔のものもたくさん現存しているんだけど、実は多くは海外のコレクターの手に渡っているんだよ。
そういう意味で、日本人は昔の美的センスというものを、物質的にも多く失っているのかもしれない。
着物の色の話
━━文様以外にも、染め物としての着物も特徴的だと思います。
片野さん 十二単は、さきほど話した唐織りの一種で、色づかいもどちらかといえば大陸から渡ってきたものに近いんです。特に、天皇家の方が着られるものは色も昔ながらだね。
十二単なんかが着られていた時代より前には、冠位十二階なんて色別で職業を表すものもあったけど。
来年(取材時2018年)、天皇陛下が退位されて、皇太子様が即位されるけど。そのときに着る、着物の色は決まっているんだよね。黄櫨染(こうろぜん)というものでね。
現在であれば、使ってはいけない色とか、使わなければいけない色というのはないんだけど、やはり伝統的な行事となると必要なものが違ってくる。
即位のときには桐竹鳳凰紋(きりたけほうおうもん)という紋様を入れなければいけないし。
━━普段一般の人が着る分にはそこまでこだわらなくていいんですね。
片野さん まあ、お年をめされた女性が派手な振袖のような色味を着るのはどうかな、と思われるかもしれないけど、一応自由に選んでいいということになっている。
昔はダメだよ。一般の人が黄櫨染に桐竹鳳凰紋の入ったような格好しているのはおかしなことだと思われる。そんな格好をするのは、落語の間の抜けた登場人物くらいだよ。
あとは、流行とかもあるから。一時期、新橋の芸者さんの間で流行った色は新橋色なんて呼ばれて。
新橋色の布地。
片野さん これを新橋で着ていたら、知っている人なら新橋芸者の真似しているのかな、とか思われることはあるかもしれないね。
━━本当に勉強不足で申し訳ないんですが、これだけさまざまな文様や色があると、制作する人達の技術力というものは大変なものですね。
染付(そめつけ)用の型
片野さん 生地を織るところから始まり、型の制作、染付など、各工程の専門家が、1人抜けてもできないからね。技術力の高い人は人間国宝として評価されていることが多い。
中には、1人での造り方もある。加賀友禅とか。1人で柄を起こして1人で手書きで彩色したりすることもできて。ただし、その分金額は相当なものです。
━━そうなんですか。現在の感覚でいうと、人のかかわる数が多いほど金額が高いという認識があると思いますが、逆なんですね。
片野さん 誰にでも造れるものという訳ではなく、伝統的な技術だからね。型は、1度作れば何度か染付に利用できるけど、手書きで起こしていくとなると1品もので。
現在では、なかなか持っている人もいないかな。
続き【最終回】