着物を着なくなったのは、いつからだろう

最初は呉服という言葉の語源と着物との違いについて連載するために始めた今回の取材。

お話をお聞きした片野屋呉服店さんから、こんな一言が。

「今の人は、着物を着た人とすれちがうと、お茶を習っている方かな、とか、富裕層の方かな、なんて、そんな風に思う。でも、わずか100年少し前の人たちは、そんなことは感じないんですよ。現代人だけの感覚です。」

ドキリ、としました。その通りだったからです。

その昔、日本人は毎日のように着物を着ていました。

そんな日本人の伝統的衣服である“呉服” “着物”は、いつから僕たちの手を離れて、特別なものになってしまったのか。

当初考えていたテーマから少し離れてしまいますが、

「着物とは」「呉服とは」についてうかがいながら、なくしてしまった日本人のルーツを、

もう一度、見つめ直していきます。

連載第1回

片野さん

着物と呉服の違い、あと日本のこと

2018年7月9日

連載第2回

狩猟文

着物の文様は神話からきてる?

2018年7月10日

着物はいつから遠い存在になったのか

片野さん

━━ここまでお話をうかがって、呉服、着物は、伝統的、文化的側面において非常に重要なものであると再認識しました。しかし現在、ほぼ全ての人といっていいほど日本人は日常的に着物を着なくなっています。

片野さん そうだね。今の人は、着物を着た人とすれちがうと、お茶を習っている方かな、とか、富裕層の方かな、なんて、そんな風に思う。でも、わずか100年少し前の人たちは、そんなことは感じないんですよ。現代人だけの感覚です。

━━今のお言葉はずしりと響きました。たしかにそうですね…。日本人が呉服から作り出した着物は、少し前まで国民全員が着用していたもので、本来特別なものではない衣服であるべきですね。現在では着物を着た人が街にいればかなり目立ちます。それは、おかしなことかもしれません。

実は、前に着物はいつごろから着られなくなったんだろうと考えたことがありまして。僕は、母がお茶をやっている関係で、着物はそんなに遠くにあるものという認識はなかったんです。

それで、司馬遼太郎先生や浅田次郎先生の歴史小説が好きでよく読むんですが、十中八九、頭で想像する登場人物は着物なんです。よく見かける着物だから、まあ、実際の大衆文化の中の着物よりも派手なものを想像してしまうんですが。それが、明治維新以降を舞台にした小説では、急に洋装で想像したり、登場したりします。

それでなんでかな、と思って、当時の写真なんかを見てみると、薩摩、長州などの新政府軍は洋式の軍服で、攘夷派の侍たちは裃(かみしも)のような服装であることが多く。

片野さん ああ、それはそうかもしれない。明治16年ごろから、現在の千代田区にあった鹿鳴館(ろくめいかん)で、ヨーロッパなどの諸外国の外交官を招いて接待をしたんですよ。そのとき、鹿鳴館側の人間は、着物ではなくて洋装を主としたと記録されているんですね。

なにせ着慣れていないものだから、これが、まあ似合っていなかったとか(笑)。

この時代にそういう記録もあるので、日本人は明治以降に徐々に着物から遠ざかっていったと考えていいかもしれません。

━━後に内閣を組閣する新政府軍も、洋式の軍事訓練や戦術、服装などを取り入れて勝利しているので、これからは洋式だ! という気持ちが強いのかもしれませんね。明治維新というのは、着物から洋装への大きな転換期だったともいえますか?

片野さん イギリス、フランス、ドイツの軍服は、日本の陸軍、海軍に取り入れられていたから、その影響はあったかもしれない。そういう意味では転換期と言えるかもね。

また、これがおもしろいというか、残念というか、なんとも言えないところなんだけど、逆に、この時代に外国は日本の衣装文化に目をつけて。アメリカ人の東洋美術収集家として名高いフェノロサなんかが、岡倉天心と一緒に着物や浮世絵なんかを大量に買い付けていった時期でもある。

武士や貴族といった人々の生活も変わった時期であるから、持っていた美術品、着物なんかをどんどん海外に売却してしまったんだよね。

三井物産設立に関わった1人である益田孝(ますだたかし)なんかは海外に流出していく美術品を見て、これ以上は日本の損失になってしまうと買い戻しを行ったりもしていたんだけど…。やはり目新しいものと、より合理的で機能性に優れているものに人々は流れていくわけですね。

━━そこで現在のように、着物は“着物は特別なもの”という、ある種間違ったというか、日本の伝統というものは薄れていくわけなんですか。

署名

良い着物であればこのように制作者の署名も入っているそう。

片野さん 時代の流れではあるけども。呉服、着物を扱う人間としては少し寂しくもある。ただ、お茶をたしなむ人や、書をやる人、歌を詠む人なんかは、伝統を重んじて着物の文化を守っていくわけです。

なかには、平良敏子(たいらとしこ)さんという技術として絶える寸前だった芭蕉布という昔ながらの着物の製法を再興する人もいらっしゃる。一般に流布しなくなっても、知識人のような人たちは伝統を絶やさないようにしている。

そういう人たとのことがなんとなく頭にあるから、着物を着た人を見ると特別な人であると考えるのかもしれないね。

こういう特別な感じを与えることを、日本語では“奥ゆかしさ”ともいう。奧を感じさせる服、というのは、着物独特だよね。

━━お話を聞いていると、もちろんTPOにおいて着ることができるというのは大前提ですが、着物は“着る”か“着ない”か、ということよりも、日本の文化形成の一端として“知る”か“知らないか”という、知識の問題も大きいように感じます。

片野さん それはそうだね。例えばグローバル化、というものがかかげられて久しいけれども、海外に出たときに着物なんかに代表される、日本のことを正しく外国の人に説明できるか、解説できるか、というのはアイデンティティーを持つ、ということにつながると思いますよ。

着なければいけない場面に、着たこともない、知ることもない、そもそも触ったことがない、なんてなると、それは国際人としての恥である、ということにつながると思います。

だって、海外の人はよく自分の国のこと知ってるもの。

━━外交や国際交流の場では特に重要ですね。それこそ、国連の要人があつまる場のニュース映像などを見ると、伝統的衣服を着て出席されているのをよく見かけます。そんな場で、日本とは、という話が出てきたときに、現在の一般的に持つ知識では、説明しきれないような気がします。

片野さん うん、知識としてだけではなく、自身のルーツにかかわるものとして着物についての知見を持っていないと、これからますます国際化の波から取り残されてしまうと思う。いや、残されるというよりも、日本の評価を落としてしまうんじゃないかな。

以前、宮城道雄の「春の海」を聞きにいったときに、本来尺八で演奏するパートをバイオリンで演奏していて。普通は尺八と琴なんかと演奏すると思うんだけど、違和感もなく聞き込んでしまったんですよ。

その後新聞で読んだんですが、芸大に通うような人たちは、洋楽器の演奏のほかに和楽器の演奏を習う人もいるそうなんですよ。これは洋と和の違いを知ることで、自分の使用する楽器、音階、リズムの世界の中での立ち位置を認識して練習するためだそうで。

着物についてもこれはあてはまると思う。町行く人々の洋装のなかに、和装である着物の人がいても、バイオリンと尺八のように、マッチするんです。

そして、着物なんかを通して、今現在の自分が海外を含めた歴史の中で、どのような人間であるべきなのか考える。

これは、さまざまな情報にアクセスできる、現代ならではのことで。だからこそ、一度呉服、着物について知ってもらって、伝統を知りながら、もちろん機能的な洋装中心でいいんですが、ときおり、着物を着て日本人としてのルーツを大事にして欲しいなと思うよ。

━━本日はありがとうございました。大変勉強になりました。

 

着物、と聞くと堅苦しいもの、という想像をする人もいるかもしれません。

しかし、海外との交流を持つ、また日本で暮らしていく上で、日本人として自身のルーツである歴史と文化を知らないというのは、今や教養がない、という言葉ではすまされないほど世界は近くなっているようです。

今回片野さんから取材した内容は、実は記事化した情報量の数倍ありました。こちらは編集の都合上カットせざるを得ませんでしたが、ここに載せたものは、ほんの一部。入り口にすぎません。ぜひ、この機会に呉服、着物について、より深い“奧”を知っていただければと思います。

いつの時代も、自分よりも前の世代が文化と社会を形成してきたことを意識しつつ、また着物についての記事を掲載していきます。

呉服のこと、着物のことの連載はとりあえずここまで。次の記事でまたお会いできれば幸いです。

教えてくれたのは

片野屋呉服店
片野屋呉服店・片野屋洋品店
呉服、婦人洋品、雑貨
住所小田原市南町3-2-45
電話 0465-22-4800
営業時間 9:00〜18:00
定休日 日曜・祭日

お店の詳細はこちら

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

編集者、ライターの のじさとしです。ラーメンを食べると胃にくる30代。新聞社→出版系の編集プロダクション→自転車屋さんとライター編集業の兼業、と順調に一般社会人のレールを外れています。商店会では撮影、ライティングなどを担当しています。