着物と呉服の違い、あと日本のこと

片野さん

最初は呉服という言葉の語源と着物との違いについて連載するために始めた今回の取材。

お話をお聞きした片野屋呉服店さんから、こんな一言が。

「今の人は、着物を着た人とすれちがうと、お茶を習っている方かな、とか、富裕層の方かな、なんて、そんな風に思う。でも、わずか100年少し前の人たちは、そんなことは感じないんですよ。現代人だけの感覚です。」

ドキリ、としました。その通りだったからです。

その昔、日本人は毎日のように着物を着ていました。

そんな日本人の伝統的衣服である“呉服” “着物”は、いつから僕たちの手を離れて、特別なものになってしまったのか。

当初考えていたテーマから少し離れてしまいますが、

「着物とは」「呉服とは」についてうかがいながら、なくしてしまった日本人のルーツを、

もう一度、見つめ直していきます。

第2回

狩猟文

着物の文様は神話からきてる?

2018年7月10日

第3回【最終回】

着物を着なくなったのは、いつからだろう

2018年7月11日

━━片野さん、今日はありがとうございます。1897年創業の呉服屋さんである“片野屋呉服店”さんに、呉服、というものと着物、というものの違いについて教えていただければと。

片野さん うん、現在知っている人はほとんどいないと思います。そもそも、呉服と着物というのは同じと考えていいものです。非常に端的に説明するならば、着物の中でも絹を使用した質の高いものを呉服、と呼んでいます。

これだけだとなんのことか分からないと思うので、呉服と呼ばれるようになった理由から、順を追って説明していきますね。

━━勉強不足ですいません、よろしくお願いします。

勉強ノート

片野さんが着物についての情報をまとめたA4ノート。全ページビッシリと書き込まれています。

片野さん そもそも呉服、という言葉の成り立ちは応神天皇の時代(4世紀後半から5世紀初頭とされている)までさかのぼります。

この時代のことを記した、こういう記録があります。著者は不明ですが、1690年に刊行された人倫訓蒙図彙(じんりんくんもうずい)という昔の日本の風俗文化を解説した書物に「応神天皇の御時に、唐土(もろこし)より呉服(くれは)、綾織(あやは)という姉妹が渡りて絹を織れり。この名によそいて上品(じょうぼん)の着物を呉服というなり」と記されているんですね。

私が昔書き写したものなので、そのままの記述であったかは不明なんですが、唐土というのは、現在の中国のことです。

━━着物が中国大陸からきたものということはなんとなく知っていたんですが、女性の姉妹がもたらしたものだったんですか。

片野さん そうなんです。ただし、この人倫訓蒙図彙が確実であるという証拠はありません。そのため、有力な説、というが正しいかもしれませんね。

呉服(ごふく)とは、この呉服(くれは)の名前から名付けられたとされています。

それまでの日本人の着物は、主に植物を使用したものでした。木の皮を細く繊維質にして織ったものや、草などの繊維で編んでいたんです。麻のものなんていうのは、神様から与えられた特に上質なものであるとされていました。

唐土、つまり当時の中国は宗教文化に始まり、焼き物から美意識、お茶や食文化にいたるまで、アジアの最先端をいく国でした。

唐土からきた呉服は、絹製です。蚕(かいこ)のつくりだす柔らかな糸で編まれた呉服は、着心地よくきらびやかな装飾もほどこせるので、日本からすれば、先進国からきた、見たこともないような新しい技術だったと感じたでしょう。

━━木の皮を使用した着物は、アイヌ民族の方も着ていたと聞いたことがあります。

片野さん まさにそれです。これらのことから、呉服とは、中国から輸入された絹製の着物、という解釈ができます。

━━なるほど、当時は輸入の方法が海上輸送のみであることにくわえ、造船技術の整っていなかったため、海を渡って中国と貿易するというのは、大きな危険をはらんでいたと思います。それで大変貴重なものであるとされていたんですね。ここでいう呉服は、現在僕たちが想像するような着物と似たようなものだったんでしょうか。

片野さん それがね、全然違うんですよ。現在の着物は、呉服を日本が独自に発展させたものなんだよね。この話をするには、重要な人物の紹介をしなければいけません。この人は着物、というものができるきっかけを作ったと言えるでしょう。

━━それは大人物ですね。歴史の授業などでもあまり聞いたことがありません。比較的知名度の低い方ですか?

片野さん いえ、この人の名前は“菅原道真”といいます。

━━菅原道真といえば、学問と雷の神様として有名ですね。まさか日本独自の着物に関わっている人だとは知りませんでした!

片野さん あくまできっかけではあるんですが。

応神天皇の時代から呉服を輸入しては着る、もしくは同じような着物を作ることを続けていきます。

しかし、なにせ今と違ってネットもなければ郵便も雑誌もありませんから。そもそも、呉服を作ろうにもお手本となるものがなかなか手に入らない訳です。そうなるとまともに制作できないので、輸入された呉服を中心に流通していたんです。

この輸入は、現在のような商売としての海上貿易ではなく、遣唐使が唐土の文化、宗教を学びにいく際に持ち帰ったものしかなかった。そのために、呉服は、全国にたくさん流通しているという訳ではありませんでした。

そして、応神天皇の時代から、醍醐天皇の時代まで時はすすみます。このとき、さきほどの菅原道真が右大臣に任命されました。一緒に左大臣に任命された藤原時平という人がいるんですが、この人が根っからの貴族で、嫉妬というか、憤りを覚えた訳です。なぜかというと、菅原道真は代々学者の家系であっても、大臣となるような家柄ではなかったんですよ。

醍醐天皇の前の天皇であった宇多天皇も、菅原道真を取り立てていて。これもきっと気に入らなかったんだと思います。道真は国学も分かれば和歌も分かる、書も分かる、文学、芸術など、多方面についての知見が豊富な方だったんです。そのため、天皇の寵愛というか、評価の高い人物で、反発を覚える貴族はチラホラいたわけです。

━━道真の和歌も、現在まで残っているものが多々ありますね。後年その貴族達に左遷された際「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」という都への未練たっぷりの和歌を詠んで。これは、特に有名なものだと思います。

片野さん そう。その和歌にもあるように、最終的に不運な結果になってしまうんですが…。とにかく、この大抜擢が気に入らない、根っからの貴族であった時平は道真を殺してしまおうと思うわけです。ただし、あからさまにはできない。そこで、遣唐使の長にすえて、事故にあう可能性を広げようとしたわけです。

遣隋使から遣唐使の時代まで、中国まで船で行くのは容易ではなくて、嵐にあったりして船員が亡くなったりと、たどり着けないということもあったんです。そこに入れてしまえばいいと思ったんですが、道真が遣唐使を廃止しました。

━━さすが学問の神様ですね。時平の思惑を察知して事前に回避したんでしょうか。

片野さん という意見もあります。一応、記録には、中国で起きていた内戦や日本の財政なんかを引き合いに出して遣唐使を中止したという記述などもあるようですが。

とにかく、遣唐使を廃止すると、中国との行き来がなくなるために、ただでさえ数の少ない呉服は、新たに輸入されることがなくなってしまいます。

そこで日本では、呉服というもののイメージだけを持って、自分達で着物を作らざるをえなくなった。

そうして日本独自の着物が生まれました。それが、十二単(じゅうにひとえ)と呼ばれるものです。

━━道真に対する時平の嫉妬が起源なんですね。その後道真は左遷された九州 太宰府で死去し、朝廷に呪いというか祟りをもたらしたとされ、神としてまつられる訳ですが。現代から見てみれば、良かったのか、悪かったのか判断しにくいお話ですね。

片野さん そうだねえ。十二単がオリジナルな着物の象徴であるならば、道真は着物の神様となりえたかもしれません。

また、遣唐使の廃止は、着物についてだけではなく、そのほかの文化についても大きな影響を及ぼしていて。外からこないのであれば、中で変えていくしかないと。廃止以降に、源氏物語や枕草子など、文学の世界なんかでも日本独自の発展を記録していくわけです。

そう考えると、道真の不運が大きな変革をもたらしたと考えられなくもない。

━━遣唐使を続けていれば、日本独自文化の発展はなかった、というのは言い過ぎとしても、数十年遅れていたかもしれませんね。

片野さん 今とは違う歴史の流れになっていたかもしれない。彼は雷の神様としても祀られていて、雷は雨を想起させる。農耕民族である日本では雨というのは非常に大切なもので、雷は神様との橋渡しということになっている。

そういう意味では、神様として非常に位の高い地位に置かれたということだけが、救いかもしれないね。

━━着物のお話に一端戻ると、今のような流れで呉服は十二単へと変わっていく。日本人の美的センスが新たに構築されていったと考えていいですか?

片野さん そう。十二単の登場で、“重ね”という美意識も生まれた。本当に名称のとおり12枚ではなくて、18とか、枚数は変わるけど重ね着をしてオシャレをするというのは、このときに初めて登場しました。呉服にはない感覚ですね。

もちろん、これは貴族社会の中での話ですが。

 

 

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連載第2回

狩猟文

着物の文様は神話からきてる?

2018年7月10日

 

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のじ さとし

編集者、ライターの のじさとしです。ラーメンを食べると胃にくる30代。新聞社→出版系の編集プロダクション→自転車屋さんとライター編集業の兼業、と順調に一般社会人のレールを外れています。商店会では撮影、ライティングなどを担当しています。