小田原用水(早川上水)について
上は昔の小田原用水取水口 小田原用水は北条氏綱が早川の上板橋から取水し、板橋の旧道を通り光円寺前で今の国道1号線出て(そこから暗渠)、山王川の手前まで(そこまで暗渠)小田原の街中を通っていた。各町内へは各所…
上は昔の小田原用水取水口 小田原用水は北条氏綱が早川の上板橋から取水し、板橋の旧道を通り光円寺前で今の国道1号線出て(そこから暗渠)、山王川の手前まで(そこまで暗渠)小田原の街中を通っていた。各町内へは各所…
2015年10月5日 加藤小田原市長の日記 十字町ヒストリア 2015年10月3日 ユニオンデンキ 十字町ヒストリアオープン 2015年10月 時事通信社 小田原の歴史資料室十字町ヒストリア紹介記事 2…
益田孝(鈍翁)は鎌倉の別荘に行くと帰ってから体調が優れず、医者に相談したところ、より湿度の低い海3:山7の割合ぐらいのところがちょうどいいと言われ、親しい井上馨と同郷の野村靖(神奈川県令)に頼み小田原の板橋に居を構えた。…
益田孝(男爵) 鈍翁 嘉永元年(1848年)10月17日ー昭和13年(1938年)12月28日 佐渡市相川に生まれ、幼名徳之進、父鷹之助は箱館奉行を務めた後江戸に赴任、孝もヘボン塾に学び公使館に勤務、ヘボンから英語を学ぶ…
十字町ヒストリアで展示した災害資料です。ヒストリアで保管しています。ぜひ、ご覧ください。 ・小田原の地震 小田原は江戸時代から約70年周期で地震に見舞われてきました。 1573年 天正小田原地震 M7.0 1633年 …
最初は呉服という言葉の語源と着物との違いについて連載するために始めた今回の取材。 お話をお聞きした片野屋呉服店さんから、こんな一言が。 「今の人は、着物を着た人とすれちがうと、お茶を習っている方かな、とか、富裕層の方かな…
北原白秋が小田原に来たのは、1918年(大正7年)のことである。 その年4月には、十字町お花畑に居を構え、後に天神山の伝肇寺に小笠原の土民家風のみみづくの形をした茅葺の家を作って移り住んだ。 その後新築して、ここで長男隆…
十字町商店会のホームページについて ここ十字町は現在の国道1号線筋は古くから東海道五十三次の宿場町として発展し、日本遺産として認定された箱根八里の起点でもあります。 ういろうさんが創業600年を誇り、江戸時代に創業された…