ヒストリアかわら版 北原白秋(日本の童謡100年)

北原白秋が小田原に来たのは、1918年(大正7年)のことである。
その年4月には、十字町お花畑に居を構え、後に天神山の伝肇寺に小笠原の土民家風のみみづくの形をした茅葺の家を作って移り住んだ。

その後新築して、ここで長男隆太郎をもうけ、作詩活動に一層拍車がかかった。
そこで生まれたのが「ゆりかごのうた」である。このうたは、皇后美智子さまも子育て中ずっと皇太子さまに聞かせており、最も愛した曲であると言う。毎夕、4時になるとこのメロディが防災無線から流れ小田原市民は癒しを受けている。

白秋は、8年間小田原に居住し、作家として最も充実した時を過ごし数々の童謡を残している。
「赤いとりことり」「あわて床屋」「ペチカ」「からたちの花」等々。

長男隆太郎を十字町2丁目にある「花園幼稚園」に通わせ、人生で最も幸せな時を過ごしたと思われる。
この小田原には作曲家山田耕筰が度々訪れており、雑誌「詩と音楽」を通して白秋と意気投合し、数々の名作品を生み出している。

おりしも、日本に童謡が生まれて百年になる。
この機に及んで映画「この道」(白秋・小田原時代の作品名)が制作されると言う。 この秋の上映を楽しみとしたい。

今年は白秋が小田原に居住し、様々な会で100年ということで記念行事が予定されている。
この機会にぜひ白秋の童謡の世界に遊んでください。

 

十字町ヒストリアでは、小田原に住んだ著名人を紹介していきたいと思っています。  お楽しみに!!

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十字町ヒストリア責任者、有限会社ユニオン商会代表 十字町ヒストリアはここ十字町の近現代の歴史を中心に展示しています。 十字町地区に居住した著名人、ここ小田原が受けた災害被害、豆相人車鉄道、軽便鉄道、国府津湯本馬車鉄道、電気鉄道、市内電車などの記録、小田原の神社仏閣、小田原用水(早川上水)山縣水道、益田孝(鈍翁)の小田原での業績、などを保管していますので、気軽にお申し付けください。